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岡山県縦断の旅 [ツーリング]

だいぶ暖かくなってきました。
いよいよツーリングシーズンということで、岡山県を北から南へぶった切る旅。

最初の目的地は、(おそらく)県下第一等の桜である醍醐桜
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さっそく濃霧に包まれています。果てしない大平原のようですが実はすぐ山道。
どうでもいいけど、中国道のICがある北房(ほくぼう)と南朝の北畠親房(きたばたけちかふさ)って関係あるんですかね…

夜もだいぶ明けたころに到着!
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ところが
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ほとんど散っている! NHKの気象情報では「満開」だったのに…

まぁそれでもきれいな朝日が見れたからいいや、ということで
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下山します。正直なところ朝の醍醐桜は寒くてしょうがないです。

ちょっと下ったところの桜は満開でした
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品種が違うんでしょうかね。

岡山道を南下して高梁へ。
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雲海スポット、備中松山城です! 右側にちびっと見えてるのがお城です。

途中の山道でも満開の桜。
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なんか素敵に朽ちたバスがいたりして。
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さらに南へ。
瀬戸大橋渡って香川県丸亀まで来ちゃいました。
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四国アイランドリーグ、10年目のシーズンだそうです
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今年もちょうどいい温度で盛り上がってて楽しめそうです。

神崎緑地 [ツーリング]

寒さに加えて花粉も飛びはじめ、遠出はちょっと厳しい今日この頃です。
ひたすら鷲羽山スカイラインを往復する週末が続いていましたが、少し足を伸ばして岡山市へ。
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吉井川も越えて神崎緑地という公園へ。
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梅林が有名で、開花の時期には梅まつりを開催中。出店は準備中でしたが見物客はそれなりに訪れていました。駐車場は20台程度のキャパ。
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近づくといい香りです。

菜の花も開花。春ですねえ
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岡山市街方面を望む
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南西には児島半島の山々
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空気が澄んでて見晴らしがいい!

初詣 [ツーリング]

あけましておめでとうございます!
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走り初めは当然のように鷲羽山スカイラインで瀬戸大橋へ。思ったより寒くない
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いつ見てもでかい!

渋川海岸沿いに宇野まで行き、国道30号で岡山市内へ。
岡山県護国神社で初詣をしました。
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正月四日、しかも夕方ということで人もまばらでした。
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護国神社は郷土の戦没者を祀るのが主目的ですので、旧軍関係の遺物があちこちに見られます。
まずは忠霊塔
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約5000柱を納骨しているそうです。

宇垣纏海軍中将と海軍戦没者の碑
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玉音放送の後に特攻機に乗って出撃した宇垣纏中将以下17名、さらに岡山県の海軍将兵約10000柱の鎮魂。

独立臼砲第18大隊(北千島)の碑
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終戦間際に北方領土の占守島防衛を任ぜられ、ソ連軍と激闘を繰り広げたのち多くがシベリア・カムチャッカで抑留された部隊の記念碑。

宇垣一成陸軍大将の像
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陸軍大臣として大正末の大軍縮を断行し、予備役編入後は組閣の大命が下りながらも陸軍の抵抗を受けて頓挫しました。

この他にも境内には数えきれないほどの顕彰碑・鎮魂碑があるようです。


今年も艦名ゆかりの地を中心に、あちこち走りまわります。

砲艦『鳥羽』 [艦名ツーリング]

砲艦『鳥羽』
就役: 1911年11月17日
基準排水量: 220t
水線長: 55m
速力: 15kt
兵装: 8cm高角砲 単装×2
     13mm機銃 連装×1
     7.7mm機銃 単装×2
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『鳥羽』は初めての国産河用砲艦として、佐世保工廠で建造されました。前級にあたる英国製の『隅田』『伏見』に比べ、揚子江での運用を考慮して機関出力が強化されて15ktの速力を発揮しています。
外洋は航行できないため浮きドックごと曳航されて中国大陸に渡り、上海を根拠地として両大戦を戦いぬきました。1941年12月8日、太平洋戦争開戦の日には駆逐艦『蓮』と協同し、上海で英砲艦『ペトリル』を撃沈、さらに米砲艦『ウェーキ』を鹵獲する戦果をあげました。
敗戦時にも残存して除籍されたのち、中華民国軍に接収されます。『合群』『永済』『郝穴』と三たび名を変えた後、人民解放軍の手に渡りさらに『湘江』と改称されました。1960年代に50年余の艦歴を終えたようです。

鳥羽は京都市街の南の玄関口です。
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現代においても、名神高速の京都南ICを(渋滞に疲れ果てて)下りて最初に訪れる地です。
幕末には鳥羽伏見一帯を戦場として幕府軍・薩長同盟軍が衝突し、戊辰戦争の幕開けの地となりました。
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今は幹線道路沿いにラブホテルが建ち並ぶ、なんとも平和な土地になっています。

せっかくの京都なので少し観光しました。ベタに清水寺
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紅葉もさすがに散り終わってしまってますね。

再び京都駅の南側へ機動し、東寺へ。
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東寺では弘法大師の月命日である毎月21日に、弘法市という縁日を開いています。中でも年末12月21日のものは終い弘法と称してそれはそれは賑やかだそうで。ちょっとのぞいてきました。

こんな竹細工や
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表情豊かな鬼の焼き物
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塗り箸に名入れをしてくれる職人さん
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名前のインパクトだけで勝負のお店なんかもあり
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一年の締めくくりだけに人混みもすごかったですが、手作りの品ばかりでなかなか楽しい市でした。

練習艦・戦艦『摂津』 [艦名ツーリング]

大好きなジャズピアニストのライブを聴きに寒空の下大阪へ。
艦名の宝庫・関西にせっかく来たからには数隻やっつけて帰りましょう、ということで。

練習艦『摂津艦』
竣工: 1854年
基準排水量: 920t
水線長: 52m
速力: 不明
兵装: 砲×8
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メキシコ船『ヘネラル・サンタ・アナ』号を米国が購入し税関監視船(こんな船種あるんですね)『カイヤホーガ』となり、さらに明治新政府に売られたのが『摂津艦』です。そもそもが中古の旧式艦ということもあり、間もなく機関を撤去して一線を退き、海軍兵学校の生徒が操船航海技術を学ぶための練習船として運用されました。やがて1888年に兵学校が東京築地から広島江田島に移転する際に売却、廃船となりました。


戦艦『摂津』
就役: 1912年7月1日
常備排水量: 21,443t
水線長: 161m
速力: 20kt
兵装: 50口径30.5cm砲 連装×2
     45口径30.5cm砲 連装×4
     15.2cm速射砲 単装×10
     12cm速射砲 単装×8
     8cm速射砲 単装×8
     45cm水中魚雷発射管×5
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『摂津』は『河内』型戦艦の2番艦として呉工廠で建造されました。ちなみに竣工した7月末に明治天皇が崩御しており、最後の明治戦艦ということになります。
最大の特徴は英国アームストロング社製の30.5cm砲を連装6基、豪華に12門も搭載した点です。前級である『薩摩』型は30.5cm砲×4、25.4cm砲×12 と大口径の主砲・副砲を兼ね備えていたのに比べると全く革新的な武装といえます(この点から、『河内』型は日本海軍唯一の弩級戦艦であるとする見解もあるようです)。
ところが主砲の配置と仕様についてはまだ試行錯誤の途中だったようです。6基を亀甲型に全周へ向けて配置したために必ず数門は目標に指向できませんでした。また前後の2基4門のみ50口径、他を45口径と砲身長を変えたために、そのままでは統一した射撃指揮が不可能となってしまいました(東郷平八郎元帥の「前後の砲は強くせんかい!」という鶴の一声が影響したという説があります)。これらの反省は後の金剛型、扶桑型の設計へ活かされていくことになります。
さて『摂津』の過ごした時代の日本は比較的平和な時代でした。第一次大戦が始まるとドイツ領だった山東半島の封鎖に向かいますが、直接の戦闘には参加していません。
1923年のワシントン海軍軍縮条約により、『摂津』は退役することが決まりました(この代償に『陸奥』の残存が許されます)。砲や装甲などの武装が撤去され、標的艦として新たな艦歴をスタートします。
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初めは標的艦を曳航する役割でしたが、軍縮条約失効後の1937年には無線操縦装置を搭載し、自らがターゲットとなって友軍の砲爆撃(当然演習弾)を受けるようになりました。これらに耐えるよう若干の装甲強化もなされました。
開戦後は呉を母港として過ごします。1945年7月24日に米軍機の空襲によって大破着底。2年かかって解体完了しました。


さて摂津国のシンボルといえば
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一宮、住吉大社でしょう!(たまたま宿に近かったからだけど)
戦艦『摂津』の艦内には住吉大社の1/40模型が寄贈されていたそうですし。

関西では初詣の名所で、毎年数十万人が訪れるそうですね。
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早朝はほとんどだーれもいませんが、ピリッと清々しい空気です。

源氏物語絵巻なんかにも登場する、有名な太鼓橋
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うわーこんなん登れんて!
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★艦船踏破実績
29隻 196,829t

境港で松葉ガニ [ツーリング]

この季節、朝の岡山道は猛烈に冷えます。路面の凍結には気を付けましょう。

米子に到着! 街のど真ん中にそびえる大工場は何かと思って接近。
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王子製紙の工場でした。

今回の旅の目的は、解禁したばかりの松葉ガニ! オスのズワイガニで、「ぎっしりと詰まった身と上品な旨味が楽しめる鳥取を代表する冬の味覚」です(鳥取県HPより)。去年買ったカニスプーンを減価償却させねば。
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見ていると皆さん大なり小なり値切っています。値札は見えないふりして「これいくら?」と聞いてみましょう。「○千円かぁ~」と悩んでみるともうちょっと下がるかも。

大物2杯と子分たちを連れて帰ります。
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タンデムシートに初めて乗せたのがこのカニたちになりました。かわいいネーチャンを乗せる日は来るのか!

米子まで来たので、ダイハツCMで有名になったベタ踏み坂へ。
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岸壁では新しい橋のケーソン工事をしていました。
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巨大なクレーンと記念写真。何だか縦アングルの写真が多いなぁ。

帰りも岡山道ですが、蒜山高原でフラッと下りて夕暮れの大山を眺めに行きました。
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来る前は「伯耆富士? ほーん」という感じでしたが、実見すると「すげえぇぇ!」となりますね。やはり単独峰はかっこいい。

いよいよ日が暮れます。
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気持ちいい秋晴れでした。

カニは寮の同期と鍋にして美味しくいただきました。

海防艦『生野』『金輪』 [艦名ツーリング]

瀬戸内海海防艦の旅、後編です。
海沿いの国道185号を快走しております。

海防艦『生野』
竣工: 1945年7月17日
基準排水量: 940t
水線長: 79m
速力: 19.5kt
兵装: 45口径12cm高角砲 連装×1 単装×1
     25mm3連装機銃×2
     九四式爆雷投射機×2
     三式爆雷投射機×1

鵜来型の『生野』(「いくの」でなく「いきの」と読むようです)は全海防艦中最後に竣工しました。舞鶴鎮守府隷下の第51戦隊に編入されましたが、目立った戦果もなく約3週間で敗戦。復員輸送に従事したのち、1947年7月に賠償艦としてソ連に引渡されました。

由来は広島県の生野島
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竹原の道の駅の近くにある的場公園というところから南正面に見える島です。
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さらに185号をひたすら西へ。
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艦船マニアの聖地・呉もササッと通過です。


海防艦『金輪』
竣工: 1945年3月15日
基準排水量: 940t
水線長: 79m
速力: 19.5kt
兵装: 45口径12cm高角砲 連装×1 単装×1
     25mm3連装機銃×2
     九四式爆雷投射機×2
     三式爆雷投射機×1

この艦も鵜来型なので諸元はコピペでございます。三井玉野造船所にて建造され、敗戦時も残存。復員輸送に従事したのち、1947年に賠償艦としてイギリスに引渡されシンガポールで解体されました。

由来は広島市内の金輪島。
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対岸の横浜という住宅地から撮りました。
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そういえば高知市内にも横浜って地名があったような。港町にはありふれた地名なんですかね。

もう日が暮れそうですが、最後にもう1ヶ所だけ。
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宇品軍港の跡地です。
宇品は明治中頃から開発の進められた埋立地でした。日清戦争に際して広島(当時の山陽鉄道の西端だった)が軍事拠点として注目され、宇品は大陸へ兵員を送り出す兵站基地として発展していきます。
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宇品から出発して還らなかった幾万の兵士にささげる歌碑。
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埠頭の一部が公園とされ、広島築港100年記念のタワーがそびえています。
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センス無いな…。


おまけ。海上保安庁の測量船『くるしま』が停泊していました。
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★艦船踏破実績
27隻 174,466t

海防艦『生名』『高根』 [艦名ツーリング]

海防艦『生名』
竣工: 1944年10月15日
基準排水量: 940t
水線長: 79m
速力: 19.5kt
兵装: 45口径12cm高角砲 連装×1 単装×1
     25mm3連装機銃×2
     九四式爆雷投射機×2

日振型海防艦の5番艦として日立造船桜島造船所で竣工。フィリピン~台湾~対馬海峡と広範囲で哨戒・掃海などの任務につきました。朝鮮半島で敗戦を迎え、引続き掃海作業に従事後は運輸省に移管し定点気象観測船『生名丸』となりました。さらに1954年に海上保安庁へ移管されて巡視船『おじか』と改称しました。1963年に退役し19年の長い艦歴を終えました。

艦名の由来となったのは愛媛県の生名島。
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しまなみ海道で渡れる生口島から撮影。
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サーキットやスポーツ公園など、レクリエーション施設の整備された島のようです。
このまま生口島の北岸を走って次の目的地へ。


海防艦『高根』
竣工: 1945年4月26日
基準排水量: 940t
水線長: 79m
速力: 19.5kt
兵装: 45口径12cm高角砲 連装×1 単装×1
     25mm3連装機銃×2
     九四式爆雷投射機×2
     三式爆雷投射機×1

鵜来型海防艦の17番艦として三井玉野造船所で竣工。7月に能登半島沖で空襲を受け、舞鶴へ入港。舞鶴工廠で修理中に敗戦を迎えました。1947年11月に解体を完了しました。

高根島は色鮮やかな鉄橋で生口島と結ばれています。
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島の西岸はすぐ海に手が届きそうな道。釣り人がたくさん集まっていました。
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途中で見つけた空家。
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スティーブン・キングの小説に出てきそうな、なんとも味のある家ですね…。

海防艦の旅はまだまだ続きます。

★艦船踏破実績
25隻 172,586t

防護巡洋艦『高砂』 [艦名ツーリング]

防護巡洋艦『高砂』
就役: 1898年5月17日
基準排水量: 4,155t
水線長: 118m
速力: 22.5kt
兵装: 40口径20cm速射砲 単装×2
     40口径12cm速射砲 単装×10
     40口径76mm速射砲 単装×12
     47mm速射砲 単装×6
     35.6cm水上魚雷発射管×5
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全ての砲を速射砲とし、高速で敵を翻弄する。防護巡洋艦のお手本のような『吉野』は日清戦争においてその優秀さを世界に示しました。『吉野』の兵装と装甲をさらに強化して設計された準同型艦が『高砂』です。
イギリス・ニューカッスルのアームストロング社エルジック造船所で竣工。『吉野』から多くの改良がなされており、同型艦とは見なさない説もあります。チリ海軍が発注した防護巡洋艦『チャカブコ』とほぼ同型です。
1900年の北清事変で初陣を飾り、日露戦争では旅順攻略戦や黄海海戦に参加しましたが旅順要塞陥落目前の1904年12月13日、港外で触雷して沈没しました。


兵庫ツーリング最後の目的地、高砂は加古川河口にある浜の名。
この地にあったという、黒松と赤松が一体となった「相生松あいおいのまつ」が古今和歌集で紹介され、後に世阿弥が能楽にします。夫婦和合と長寿を松に託したことから、結婚式でさかんに謡われました。

訪れたのは高砂神社。
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イザナギとイザナミの宿るという伝説の「相生松」は枯死と植替えを繰返され、現在境内にあるのは5代目。
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こちらは無名の松ですが、地を這うようなみごとな枝ぶり。
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海岸は工業地帯となっており、神社の横には古い工場(あるいは倉庫?)がありました。古いレンガの壁がいい色だったので一枚。
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★艦船踏破実績
23隻 170,706t

砲艦『舞子』 [艦名ツーリング]

砲艦『舞子』
購入: 1943年8月15日
常備排水量: 95t
水線長: 37m
速力: 5kt
兵装: 40口径7.6cm高角砲 単装×1
     20mm機銃 単装×1

元はポルトガル海軍の砲艦『マカオ』。その名の由来である植民地マカオを警備するために建造されました。ポルトガルは第二次大戦において中立を宣言していましたが、マカオ周辺を占領した日本軍が交渉の後これを購入。『マカオ』は兵装や兵員室の改造を経て、日本海軍砲艦『舞子』として生まれ変わりました。ちなみに、常備排水量95tと日本海軍「最小」の軍艦です。
香港・マカオ・広州方面の哨戒任務に従事し、広東で終戦を迎えた『舞子』は1947年に中華民国海軍に接収されて『舞鳳』と再び改称。内戦中の1949年に中共軍に投降し、『3-522号』と三たび改称。最後は少し味気ない艦名となり1960年代に退役しました。


由来の地は舞子ヶ浜
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明石・須磨の間にある海岸で、古来より生えていた松の枝ぶりの見事さから名付けられたといいます。平清盛もここで舞楽を楽しんだとか。
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現代では淡路島へと延びる世界最長の吊橋、明石海峡大橋の本州側出発地となっています。ちょうど夕暮れ時で海が輝き実に美しい風景でした。

この日の艦名ツーリング、目的地はもう1ヶ所残っています。果たして間に合うのか!



★艦船踏破実績
22隻 166,551t
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